NEOYAGが目指すべき、落語家・立川談志が愛した味と店3選

あなたは、立川談志(たてかわだんし)という日本の落語家をご存知だろうか?

彼は、1936年(昭和11年)1月2日に東京都文京区で生を受けた。

落語界ではまさしく天才的な才能を持ち、落語界の革命児といっても過言ではない。その歯に衣着せぬ毒舌ぶりに非常に人気があった。

初めての高座は、新宿末廣亭においての『浮世根問』だった。三遊亭圓楽(5代目)、古今亭志ん朝(3代目)、春風亭柳朝(5代目)と共に、この頃《江戸落語若手四天王》と呼ばれたというからどれだけの人気を誇ったのかが窺い知れる。

7代目立川談志を襲名してからの真打昇進だったが、その実力と才能は、寄席だけの狭い世界だけでなく、『笑点』という長寿番組を立ち上げたりと、テレビ界にも大きく貢献した。


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ジャンル問わず、美食家として知られる談志

しかしその異端児的な思考が落語協会の会長で師匠である柳家小さんからの怒りを買い、対立。そのまま落語協会を脱会してしまう。

その後も古典落語に精通し、現代落語と古典落語の乖離に常に問題意識を持ちつつ、長年論理と感覚の両方から落語文化に挑み続けた。

古典落語の世界観を、現代的な視点と感性で表現しようとする野心家の考え方と努力が高い評価を受け続けていただが、荒唐無稽で破天荒な生き様が常に物議を呼び、談志という落語家の好き嫌いが大きく二極化している。

しかしながら、談志の才能は多岐に渡る。落語のみならず、講談や漫談などを得意としていて、芸の領域の広さで知られたわけだ。これは、他の落語家にはない。

しかし落語協会の息がかかる、いわゆる寄席には寄りつかず、自ら落語立川流を立ち上げ、家元と呼ばれた。もちろんお気に入りの弟子・立川志の輔や文豪や放送作家の高田文夫、芸人ビートたけしなどと広く交流を持ち、数々の名店で食事をした。

さらに驚かされるのは、参議院議員(1期)沖縄開発庁政務次官(36日間)サイバー大学の客員教授なども歴任していることだ。それほどの才能があったのだが、相変わらず独自の滅茶苦茶さで、どれも長くは続くことがなかった。

落語家としての立川談志の実力

落語家として生涯ずっと全盛期のような実力を持つ。

しかし、その敵をつくっても構わないという攻撃的な性格によって、様々な過激な争いを起こし、その“暴れん坊”ぶりを日本全国に知らしめた。

立川談志のすべての落語で特筆すべきポイントは、師匠小さんから受け継ぐ型を大切に伝承するはずの古典において、“己のことを語る”独自視点の型を編み出したことだ。

現代人の美意識や価値観を落語の中に投入して、噺の間で「こんな物語は、ここがおかしいんだ」「こんな人情はちょっと違和感がある。何かが違う」と、談志の評価や意見を解説しながら哲学として話す。

だから、「客は俺の噺ではなく、“談志”を聴きにきている」と言われるほどだ。その芸風を、「落語としては邪道」と切り捨てる評論家も少なくない。だが、談志落語というジャンルに魅了されたファンたちは、常にチケットを買い続け、不動の人気を誇った。

作家で風刺漫画家の山藤章二は「伝統落語の部分のみで生きていれば絶対に“平成の名人”として落語史に名を残しただろう」と述べているほどだ。

古典落語『地獄巡り』では、地獄にやってきた落語家の名を並べるくだりで、「立川談志、ああ、あいつまだ生きてるんじゃなかったか……ああ小さく書いてある、えーと“近日来演”か……※」(※まもなく地獄に死んでやってくる、というオチ)

落語についての見解は「落語というのは、人間が持つ業の肯定」と常々と表明していた。晩年になると、談志独自の“イリュージョン”という笑いの域に達したと自負していた。“イリュージョン落語”の定義は、「落語はマクラも含めて、談志の感覚で話すもの。登場人物が談志と融合している。噺ではなく談志という人物が面白いんだ」

晩年の談志が爆笑問題・太田光との対談の中で「ラーメンズとテツandトモが最近面白い」と話し、この言葉に対して太田は「テツandトモは正統派、ラーメンズは師匠が言う、いわゆる“イリュージョン”の面白さでしょうね」と答えていた。

談志を含め、数々の落語家が愛した馬肉の名店

昭和29年に建築された『みの家』は、東京都江東区にある創業122年のさくら鍋の名店だ。

縄のれんをくぐると広々とした籐敷きの座敷が姿を現す。ステンレスの長机が並び、連れ同士は向かい合える席が用意されている。座敷奥には手入れの行き届いた箱庭があり、手前の特大熊手が客を出迎える。

2階席は、そこもまた籐敷きの座敷。長机が並んで、その間にケヤキの一枚板がある。

1階突き当たりには、1日1組限定の完全予約制の個室があり、楠の一枚板の廊下、室内が総かりん造りになる。古今亭志ん生から贈られた羽子板も飾ってあるというなかなかの趣のある部屋だ。どの部屋も昭和初期の下町の風情を感じるつくりになっている。

料理としては、特別コースのみ。その日入荷した一番の肉を、純銀鍋で出してくれる。常連には、立川談志をはじめ、古今亭志ん朝、林家正蔵、桂歌丸など落語家がよく通う名店だ。

食せるのは、自慢のさくら鍋。青森県産の食用馬を取り寄せ、2週間~3週間熟成させ、最大限旨味を引き出す。

鍋の具は、馬肉としらたき、麩、ネギのみ。馬肉に合わせるのは、通常の倍の麹でつくった秘伝の江戸甘味あわせ味噌。カツオと昆布でしっかりとっただし汁を注ぎ、鍋の完成だ。

せっかちな江戸っ子のために鍋を浅くしているのが、歴史を感じさせる。

住所:東京都江東区森下2-19-9  TEL: 03-3631-8298
営業時間:[月~土]12:00~14:00(L.O) 16:00~21:30(L.O.21:00) [日・祝]12:00~21:30(L.O.21:00)
定休日:火曜日

談志行きつけの老舗うなぎ屋

上野にある『伊豆栄』は人気の老舗うなぎ屋。ここは談志のお気に入りの名店で、雑誌などのインタビューがあれば、必ずと言っていいほど、ここを指定していた。

インタビューしている中で、師匠が「それはいい、いいこと聞くねぇ……」とお気入りの質問が飛び出したときに、機嫌がよくなる。

すると、前述の志の輔や談春、談慶などに「おまえらもご相伴に預かれ」と声をかけ、弟子に高級うな重を食させることがあったという。

うなぎの味はもちろんのこと、『伊豆栄』は店の雰囲気がいい。女将をはじめ、仲居や働く職人たちへの信頼感もあり、気に入っていたそうだ。

弟子の立川談慶曰く、「師匠と弟子が同じ空間で一緒に同じものを食べると結びつきが強くなる。談志の自宅であれやこれやと修行とは名ばかりの雑用をやっていたが、師匠の機嫌がよければ、“出来損ないのハヤシライス、おまえ食うか?”と、自分が調理した料理を食べさせてもらう機会が多かった。さっきまでずっと怒鳴られていて、へこんでしまっていたとしても、そのメシで釣られるわけです」だそうだ。

住所:東京都台東区上野2-12-22  TEL: 03-3831-0954
営業時間:11:00~15:00(L.O.14:30) 17:00~22:00(L.O.21:00)
※※※夏季7/13(土)~9/1(日)※※※中休みなく通し営業いたしております
定休日:要問合せ

談志が通ったインドの本格料理店

インド料理『BUKHARA』は六本木駅から飯倉方面に歩いているとその道すがらにある。本格的なインド料理を出す店として有名で、バターチキンの味に定評がある。

『情熱大陸』というインタビュー番組は何度か立川談志をフィーチャーした。彼の生きざま、さらに晩年に病気と闘う談志の姿をよく活写してあったと思う。

「高齢者の初心者」を自称する談志の姿は、今はもう見られない。

番組側は、談志に高座にあがってもらうために、「らくご×情熱大陸」というイベント企画した。そこでやる気になってもらうように、談志行きつけのインド料理店『BUKHARA』でスタッフが説得。出演の了承のみ獲得できた店だ。

住所:東京都港区麻布台3-4-14  TEL: 不明
営業時間:[月~土]ランチ11:30~15:00(L.O.14:30) ディナー18:00~22:30(L.O.22:00)
定休日:日曜日

まとめ

いかがだっただろうか?

才能あふれる表現力と古典落語へのリスペクトを忘れなかった立川談志という偉大な落語家。

彼は、2011年11月に、弟子に伝えることなく、ひっそりと最期を迎えたが、仕事でこだわりを持つNEOYAGであれば、彼に及ばずとも日々こだわりを磨き続けているはずだ。

一食一食にこだわり、自分の仕事で最高の結果を残す。NEOYAGであれば、そのような生き方をしたいものだ。

今回ご紹介した談志が愛し続けた料理を食せる3軒。

この店はどこも名店と呼ばれ、数多くのお客を魅了している。

NEOYAGのあなた! 愛車を駆って、とびきりの美女と訪れてみればいかがだろうか?

(C)Amazon

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